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シャットオフバルブ付マスフローコントローラ

マスフローコントローラのバルブは流量制御用バルブです。

故に、シャットオフバルブとして機能しません。

「止まらない」

「出続けている」

などなど、MFCバルブの機能では有り得ます!

絶対にリークしてはいけない用途では、MFC以外に

シャットオフバルブが必要です。

2011.11.23MFC.jpg

MFC+バルブですと、単体使用が原則なので

たった1系統と言えども、制御が複雑になり面倒なこところです。

上の写真の製品は

流量が無くなれば、自動的にシャットオフする

自動制御能付きのマスフローコントローラです!

これならマスフローコントローラの出流れや

リークなどの問題から解放されますね。

MFM/MFC/APCなどガス流量、ガス圧力制御機器のことなら
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今日の埼玉県さいたま市のお天気は?
 2011年11月23日 水曜日 勤労感謝の日
 ※今日は勤労感謝の日は、勤労を貴(たっと)び、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう一日です。
  そもそも、この「勤労感謝の日」は、祭祀(お祭り)がその原点にあります。
  日本では、古くから神々に五穀(ごこく)の収穫をいわう風習がありました。
  飛鳥時代の皇極天皇(こうぎょくてんのう)のころに、その年の収穫物に感謝する大事な行事
  としてはじまったのが11月23日・新嘗祭(にいなめさい)です。
  新嘗祭(にいなめさい)は宮中祭祀(きゅうちゅうさいし)のひとつ。
  天皇が五穀(ごこく)の新穀を、すべての神々に勧(すす)め、また、自らもこれを食して、
  その年の収穫に感謝するものです。
  今なお、新米を収穫しても、「神様より先に頂くなんて、とんでもない!」として、
  新嘗祭で神様に奉納するまで、人は口にしない風習が残っている地域もあります。
  今日、11月23日は新嘗祭(にいなめさい)。
  心から感謝して、お米(食事)をいただいてみてください。
  その一粒一粒に、大自然の神々の光が込められていると、感じながら‥。
  
  人間、忙しくなると、食事前に手をあわせて、感謝の祈りを捧げるということを、忘れて
  いくものです。その生命(いのち)を心から感謝していただく儀式ではなく、
  ただお腹を満たすためだけに、食べるようになってしまうもの。
  食事前に唱える「いただきます」
  食事後に唱える「ごちそうさまでした」
  この2つの言葉は江戸時代の国学者・本居宣長(もとおりのりなが)の詠んだ
  つぎの和歌が元になっていると言われています。

 「たなつもの ももの木草を 天照らす 日の大神の恵み得てこそ」
 (たなつもの もものきぐさも あまてらす、ひのおおかみの めぐみえてこそ)

 「朝夕に もの食ふごとに 豊受の 神の恵みを 思へ世の人」
 (あさゆうに ものくうごとに とようけの かみのめぐみを おもえよのひと)

  先の和歌は食事の前に感謝する意味の、「いただきます」の歌。
  「天照」は伊勢神宮の内宮の神様です。
  後の和歌は食事の後に感謝する意味の、「ごちそうさま」の歌。
  「豊受」は伊勢神宮の外宮の神様です。
 「いただきます」も「ごちそうさま」も伊勢の神様(太陽と地球の神様)に対する感謝
  の気持ちの言葉でした。
  心の中だけでも構いません。
  食事前に、上の和歌を詠(よ)んでから食事をしてみると、
  普段、気づかなかった食事のありがたみに気付けるかもしれません。
  ただ、お腹を満たすために食べるのでなく、
  その生命に心から感謝をして、手を合わせてから食べてみてください。

 天気 晴れ後雨
 気温 13℃(PM6:30)

です。

お釈迦様の説話の中に「貧者の一灯」というのがあります。
その日その日を慎ましく暮らしていた婦人が、苦しい中からお灯明の油をようやく少し
手に入れて、お供えした。そこへ一陣の風が吹いてきて、他のお灯明は消えてしまっても
この婦人のお灯明だけは消えなかったというお話です。

これは何をいっているのかといえば、真心の大切さであります。
喜び込め、たとえ一灯をともすだけの油しか仏に供養できなくても、真心なく万灯をともす
油を供養した功徳よりも大きいということです。また、それと同時に、この話からは、無理
をしてはいけないということも教えられます。
 無理をして、たくさんの財を布施する。このことの中には、えてして自分の欲が潜んでいる
ことがあります。ですから、そういう人は、その欲に自分がひっかかって、とんでもない値段
の壷や石を買わされてしまったりもするわけです。
 一方、自分は大きいことはできないけれど、細く長く神仏につながっていくんだ、という
真心を持ち続けている人の信仰は、消えることなく長く続くものです。無理をしないからです。
 どんな背伸びをしても、神仏は全てお見通しです。自分が無理なく喜んでできることを行う
ことで、それが正しく光りになるわけで、決して無理をしない、それがまことの教えであります。
 たとえば、自分の兄弟に、これだけしてやったんだから報われるだろう、という想いの中には
無理があります。欲があります。

無理をしない心というのは、自然の流れに即していて、摩擦がありません。全てが調和して
共存していく、そういう姿です。
(21世紀の風 大徳寺昭輝 著より)
 
 by  との

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